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歴史と人々

山口光朔[やまぐちこうさく] 元神戸女学院大学学長 (1926-1993)

 1949年京都大学文学部卒業。ミシガン大学・ワシントン大学大学院に留学、 桃山学院大学教授、カリフォルニア大学客員教授、ブリッジポート大学客員教授 などを歴任、その後、神戸女学院大学および同大学院教授、学生部長、文学部長、学長、院長代行を経て1992年3月定年退職、神戸女学院大学名誉教授、米国ロック フォード大学名誉博士、中国広州外国語学院顧問教授、インドネシア・フン・ハッタ 大学名誉教授、また、オリンピア幼稚園理事長・園長、アジア協会・アジア友の会 理事、神戸YMCA理事、世界人権宣言兵庫県実行委員会委員長、トインビー市民の会関西代表などと幅広く活躍。

 

 著書には『異端の源流一中江兆民の思想と行動』『宮崎酒元論』『狂気のアメリカ』 『現代アメリカ論』『近代日本キリスト教の光と影』など、訳書にオールコック 『大君の都』、トインビー『戦争と文明』「人類と母なる大地』その他、多数。 偉大な歴史家アーノルド・トインビーの日本人唯一の弟子としても有名。

 

 日本聖公会総裁主教故八代斌助師の娘婿。聖公会神戸聖ミカエル教会教会代表。

山口 元「山口光朔を偲ぶ」(神戸YMCA機関誌『神戸青年』1998年9月号)

  今年も夏が過ぎていった。

 

  8月20日は元神戸YMCA理事であった我が父、山口光朔の6回目の逝去記念日であった。父は1926年神戸YMCAの主事であった山口一郎の長男として生まれた。 御影教会で受洗。海軍兵学校在籍中に江田島から原爆投下された広島へ救援に行き被爆。 戦後すぐに、京都教会にうつり、親友酒井哲雄氏と出会う。 その夏教会のキャンプで妹、鼎が水死。青年会の責任者であった竹中正夫氏と光朔は遺体を挟んで無言で一夜を過ごしたという。 これが2人の初めての出会いであった。

 

  京都大学大学院時代に豪僧といわれた八代斌助日本聖公会総裁主教の次女、洋子と結ばれる。 斌助主教の桃山学院大学設立を手伝い、米国、英国留学で生涯の師、歴史家アーノルド・トインビーと出会う。 八代斌助の死後神戸女学院大学に移り1993年66歳で昇天した。

 

  光朔は若い頃酒もたばこも嗜まなかった。賀川豊彦を師と仰ぐ厳格な両親の元で育ったからだ。 その賀川豊彦と戦時中合同問題で対立し続けた大酒のみで、豪放磊落な八代斌助との出会いが彼の人生を一変させ、万人の知る光朔となった。 広島での被爆体験と弟と妹の死との出会いが彼を平和運動へと導き、トインビーとの出会いが歴史学者への道を拓いた。 酒井哲雄氏と今井鎮雄氏との出会いからYMCAの熱きレイマンとなった。

 

  多くの出会いによってもたらされた波瀾万丈の人生こそ、神様のご計画だったのだろう。 今頃天国で一杯飲みながら「えらい世の中になってしもたな」とぼやいているだろうか。